2009年11月20日金曜日

【報告】メディアラボ[映像編]:2日目

メディアラボ映像編の第2週目は、映画監督の坪田義史さん「虚構と現実 個人的な映像表現について考える」でした。

場所は市役所の会議室です。

挨拶もそこそこに、まずは作品をということで、DVDをプロジェクタでスクリーンに投影しての簡易な上映会が行われました。

作品は講師の坪田さんが美大に在学中に制作されたもので、なんでもどこかの地方で上映された際に、物議を醸した問題作だとか。ドキュメンタリー風に物語が展開してゆきます。

家庭内暴力の父親、家庭から逃げ出す主人公、やり場の無い思いのはけ口のようなセックス。舞台は家の中から街へ、そして新幹線・バスを乗り継いで青森の恐山へ。
独特の色彩に加工された画面と、デジタルビデオカメラで撮られたような画面のゆれ、そしてハードな音楽。
本当にここは市役所の会議室なのか?と疑ってしまう様な、性と霊的なものとの錯綜。

そして上映が終わり、講師の説明で物語はすべてフィクションだと明かされた時、正直ほっとしました。

物語をあたかも事実と誤認してしまうような作品形式は、テレビのワイドショーを強く意識して制作されたからだとか。映そうとして映したものではない、よくあるUFOの拡大映像のような、画面に「映ってしまった」というものに強く惹かれ、そのようなものを表現しようとしたのだとか。

参加者の中には、作品の破天荒なイメージと、普段の講師の先生の様子にどうしてもギャップを感じる、それは一体どういうことですかと質問していた方もいらっしゃいました。それほど激しい作品でした。

そして作品をどのように制作したかというお話に移って行きます。

第一週目の鷺山さんのお話と同じ様に、入念な準備が語られます。実際に青森の恐山に取材に行った事、そこでの偶然の出来事に、最初考えていた構想から変化し、発展していったことなど。

作品制作には、ねらいと運が必要、ということを教えていただきました。

また、なぜ映画作家になったのか、というお話では、坪田先生が青春を過ごされた時代の文化の流れを伺うことが出来ました。
私小説ブームや、現代のブログ的リアリティ以前の、人の日記を読んでしまうようなリアリズムは、一体どう表現されていたか、また8mmフィルムというものの良さとの出会いなど。
しかし現在の表現方法に出会えたのは、やはり面白いものを「探していた」という事情があったから。テレビでもなく、ブルーフィルムでもなく、面白いものを、という事でした。

そして60〜70年代の「成れの果て」として90年代。様々な情報がデジタル化し、スピード感が増す前後、のような状況の時、手持ちカメラという選択をされたとか。
リトアニア人映画監督で、日記映画でよく知られるジョナス・メカスなどの影響もあったそうです。

質疑応答では参加者の忌憚ない質問に快く応じていただき、とても有意義な講座でした。

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